
历经4个多月的筹备,由北京师范大学外文学院日语教育教学研究所(微信公众号:BNURYJX)、日中翻译文化教育协会(http://setacs.org/)、立思外语学园(微信公众号:LISU_JPedu)主办的第二届“立思杯”研究生汉译日笔译大赛(全国)于2020年11月14日落下帷幕。
大赛的目的是提高研究生汉译日笔译能力,增强院校之间有关翻译教学与翻译实践的互相交流。2019年在北京师范大学举办了第一届大赛(京津冀地区)。
本次大赛的后援单位是:日本国际交流基金会北京日本文化中心(www.jpfbj.cn)、外文出版社(http://www.flp.com.cn/)、外语教学与研究出版社(http://wysgjhyzx.com/)、日本两风堂出版社(http://www.ryofudo.jp/)。
大赛初赛自2020年9月13日通过北京师范大学外文学院主页(http://www.sfll.bnu.edu.cn/)、立思学园微信公众号、日语教育教学研究所微信公众号发出通知,并转发诸多相关微信群。
2020年9月27日,本次大赛评委会主席、日本东京学艺大学名誉教授、北京师范大学客座教授松冈荣志老师通过腾讯会议举办了赛前讲座,题目是《私の翻訳生活40年》,线上观众最多时达400多人。讲座之后,通过问卷星发布了初赛的原文。决定参赛的同学提交译文便可报名成功。来自全国46所高校149名同学参加了预赛。其中MTI硕士生 91人、学术型硕士58人。
以下为参赛同学所在高校的名单:
其中25名同学经过评委的初审进入决赛。11月14日上午8:30-10:30,共23名同学参加,决赛。决赛通过“钉钉”平台在线上完成。
以下同学分获一、二、三等奖:
一等奖:岳宇翔(对外经济贸易大学)
二等奖:孙维壮 (北京师范大学)
张国宝(云南大学)
朱一尘(中南财经政法大学)
三等奖:刘子玉 (北京师范大学)
马雨童 (上海外国语大学)
姚温捷 (大连外国语大学)
刘艾咪(浙江工商大学)
其余15名同学获得优秀奖。
奖品是:
一等奖:《诗经》《宋词选》各一套(外文社提供)
二等奖:《诗经》一套(外文社提供)
三等奖:《宋词选》一套(外文社提供)
优秀奖:《我与中国四十年》(日文版,外文社提供)、《日汉翻译方法》(外研社提供)
同时,大赛还向所有获奖同学颁发了获奖证书。
奖品与证书由立思学园负责分别寄送给获奖同学。
大赛初赛自2020年9月27日至10月17日通过问卷星完成。从报名的149名同学中选出25名同学参加决赛。
本次大赛的评委阵容强大。以下是评委名单及分工。
2020年11月14日10:45,决赛评委召开了视频会议,商议评审相关事宜。随后开始紧张的评审工作。13:30,决赛评委召开了第二次视频会议,讨论了评分结果。
2020年11月14日14:30,颁奖仪式开始。北京师范大学外文学院日语教育教学研究所所长林洪主持了仪式。
颁奖仪式之后,分赛区评委负责人对本次大赛及同学们在汉译日过程中需要注意的事项发表了自己的见解。
孙颖老师围绕参赛译文与原文在内容的达成度上做了点评,分析了参赛译文中同学们达成度的比例。建议同学们需要从优秀的译文作品中多加学习。在翻译过程中,对表达方式的选择,需要顺应语境,通过表达方式可以体现出译者的语言功底以及对日本文化的认识,这也是本次大赛评审过程中对判断达成度的依据和审查标准之一。
潘钧老师对本次大赛参赛译文的两个问题点做了点评。一是语言功底。提出同学们需要加强语言功底本身的学习,特别是在选择用词的时候,不同的用词会导致意思的细微差别。二是对作品风格,问题的把握。本次决赛选用的陈原老师的作品,语言平实,没有过多的修饰、辞藻。在翻译中如果没有把握好,会和原文在准确度和文体风格上产生距离。建议同学们在今后的学习中需要更加关注日语中的“位相”问题。
李国栋老师围绕本次决赛作品中的难点做了细致的点评,主要从译文在用词、标点、时间、时态四个方面展开。在用词中提出决赛译文中,“听说”、“编辑”一词的翻译,以及“圣陶老人”这个称呼的翻译,列举了几个典型的翻译例子。提醒各位同学在翻译中需要注意细节。
杜勤老师首先指出本次大赛非常有意义,在全国各类演讲比赛,作文比赛等等多样赛事中,本大赛是为数不多的汉译日比赛。同时汉译日也是高校日语老师的薄弱内容,同时对参赛同学来说也是一个挑战。提出汉译日的译文可以体现很多问题,例如翻译“临终”一词的时态问题等。本次预赛华东赛区有31位同学报名,希望下一次比赛可以扩大影响力,让更多的同学参加。
丁国旗老师对本次大赛的汉译日的选题、简洁的举办形式给予了高度的评价。针对同学译文的完整性,比如标题翻译和正文内容不统一的问题以及译文中添加标注的问题做了点评。指出在汉译日过程中,部分同学在中文理解上也存在偏差,只是从字面翻译,并没有真正把握原文的意思,提醒同学们需要注意这个问题。
随后,本次大赛评委会主席松冈老师做了点评。松冈老师就「翻訳者の位置」「著者と読者を知る」以及初赛、决赛时的评审要点,通过同学们译作中的具体实例,做了详细的说明。松冈老师在点评中指出,译者要做好作者与读者之间的桥梁、中介,为此要熟知作者和读者。唯有如此,才能根据对两者的了解,深入理解原文,了解原文是面对哪些目标群体而做,进而选择与之相适应的词句、文体、风格。同时,既然是汉译日,要充分了解日本读者的阅读习惯及相关知识的储备量。在汉译日的过程中,尽管汉语与日语有不少同形词,要仍需注意不要轻易地用汉语的思维、用词、表达习惯替代日语。深入体会原文作者所要表达的意图,对于翻译十分重要。另外,一些貌似属于技术层面的“小问题”,如错字、标点符号的不准确,在翻译中均不可小觑。
在互动环节中,津田老师、李国栋老师详细解答了同学们在线上的提问。施小炜老师勉励各位同学需要在提高汉语的表达及书写能力的同时提高日语能力。林璋老师表示本次大赛选题很有难度,非常考验译者对翻译和译文的理解,并说明了其中的难点所在。
主持人林洪老师最后说:前来参加此次颁奖仪式的同学今天的收获一定很多,因为平时很难能同时听到多位老师针对一次翻译大赛的译作做如此多角度、深层次的点评。他代表主办方,感谢所有热情参加此次比赛的同学,感谢所有评委细致、认真、负责、周密的评审,感谢所有后援单位对本次比赛的大力支持。
目前,国内的口笔译比赛不在少数,但以在校研究生为对象、以汉译日笔译为内容的比赛尚不多见。大赛取得了超出预期的效果。第一,报名参加的人数和高校数超出了预期;第二,评委中从事翻译教学与翻译工作的教师云集;第三,松冈教授的赛前讲座、赛后点评针对性强,令参赛同学有了更多的收获;第四,学生译作中不乏上乘之作;第五,对于主办方而言,首次基于网络举办此类大赛,积累了一定的经验。
附件1
决赛原文及参考译文
【原文】
人说: “报上报道圣陶老人逝世的消息时,尊他为‘我国著名的作家、教育家、出版家和社会活动家’,这都符合事实。但为什么不首先称他为我国杰出的编辑家呢? 圣陶老人九天之上对离世时未曾听到‘编辑家’这一他最喜欢的称呼,恐怕也不无遗憾……”(《新闻出版报》88.03.19)
圣陶老人何时“最喜欢”称他为“编辑家”呢?
他一九八二年元旦撰文说: “如果有人问我的职业,我就告诉他,我当过教员,又当过编辑,当编辑的年月比当教员多得多。”
圣陶老人自称为“编辑”,而不是“编辑家”。
编辑既是人,则不必加“家”。
作家、画家、作曲家、文学家、科学家――称“家”。
司机、教师、出纳――不称“家”。
( 陈原《在语词的密林里》,1991年)
【参考译文】
ある人が言った、
(葉)聖陶さんがなくなった時の新聞の報道では、彼を尊敬して「我が国の著名な作家、教育家、出版家であり社会活動家」と呼んでいたが、これはいずれも実際と一致している。だが、彼が我が国の傑出した編集家だとなぜ真っ先に言わなかったのか。聖陶さんは、この世を去る時に「編集(编辑)家」という自分の最も気に入った敬称を耳にしなかったことは、天国でかえすがえすも残念に思っているのではなかろうか。」(『新聞出版報』1988年3月19日付け)
聖陶さんは、いつから自分を「編集家」と呼ばれるのが「最も気に入って」いたのか。
彼は、1982年の元旦に、次のように書いている、
もし誰かが私の職業をたずねたら、私はこう答える。教員もやり、編集者(编辑)もやったが、編集者の時代のほうが教員よりもずっと長いね、と。
聖陶さんは、自分を「編集者」と呼んでいるが、「編集家」ではない。
編集者は人を指すから、「家」を付ける必要はない。
作家、画家、作曲家、文学家(日本語では「文学者」)、科学家(同じく、「科学者」)――は、「家」を付ける。
運転手、教師、出納係――は、「家」を付けないのだ。
(陳原『ことばの密林で』1991年より)
附件2
预赛原文及参考译文
【原文】
【参考译文】
ポスト、ポスト、ポスト……
陳 原
聞くところでは、「欧米での近年の文化研究の潮流」は、ポスト構造主義、ポストモダン主義、ポストコロニアル主義……、だとか。
ポスト、ポスト、ポスト……
そこで、ポスト工業化社会が生まれる。しかも昨今の時代は、ポスト冷戦時代となり、ポスト共産主義が残り、ポスト歴史主義が出現することになる。いわゆるポスト男性主義とは、まさにフェミニズムだと言う人もいる。かくして、ポスト個人主義が出てくるが、これは全体主義などでは全くない。個人主義の後のポスト個人主義など、どんな主義なのか、ちっともわからない。
私が読んだ海外の文章に、こうあった。中国大陸にポスト新時期文学が現れた。その大きな特徴は、ポスト口語を用い、しかもポストインテリとポストエリートにコントロールされている。注目に値するのは、昨今のポストインテリはポスト学問しか眼中に無く、ポスト悲劇的気分にどっぷりとつかっていることだ。つまり、今や偉大なるポストユートピア時代であり、ポスト革命時代を生きているからだ、と。
ポスト、ポスト、ポスト……
ああ、人はすでにポスト終末期を迎えており、これらのポスト言語呼び出し、ポスト情報を伝達するが、それがつまるところポスト意識なのかポスト無意識なのかよく分からないのだ。この時、その人はすでにポスト昼食を食べ終わり、ポスト珈琲を一杯飲み終わると、ポスト屋根裏部屋に上り、ポスト昼寝をするのだ。ポスト昼寝では、ぐっすり寝込んでしまい、ポスト意識不明状態に陥る。自己はポスト自己に変化し、自分はポスト自分となり、もしかするとポスト自分の後は、ポスト・ポスト自分なのかも知れない。要するに、ポスト自分のすべては、一切のポストになってしまったのだ。いやはや……
この文章の前半の段落のポスト、ポスト、ポストは、新聞や雑誌から抜き書きしたもので、後ろの段落の数多くのポストは、じつは私が「開発」したものだ。
人はなぜ人間のことばを話さずに、逆にこんなに多くの「ポスト」を生み出したのか?
もしかすると、「ポスト」人間、つまり後の時代の人々ならそれがわかるのかも知れない。
1995年
附件3
评委点评与互动环节的视频链接
分赛区评委负责老师的点评:https://pan.bnu.edu.cn/l/CH54Ge
松冈老师的点评:https://pan.bnu.edu.cn/l/TnaRMG
互动环节:https://pan.bnu.edu.cn/l/onFbp1